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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)10995号 判決

原告

小松一男

被告

シルバータクシー株式会社

主文

被告は原告対し四一一万六、三〇〇円およびこれに対する昭和四五年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、仮執行することができる。

事実

第一当事者の求める裁判

原告―主文同旨の判決並びに仮執行宣言

被告―「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二原告の請求の原因

一  事故の発生

1  発生時 昭和四二年五月一七日午後一一時一七分頃

2  発生地 東京都杉並区大宮前五丁目二七九番地先路上

3  加害車両 普通乗用自動車(練馬五き二九八〇、訴外稲沢輝運転、、以下甲車という。)

4  被害者 原告

5  態様 原告は、乗客として甲車に乗車し、永福町方面から吉祥寺駅方面向け進行中、甲車が先行車に追突したため、傷害を受けた。

6  原告は、第二頸椎捻挫むち打症の傷害のため、同日から昭和四五年一一月六日まで治療を継続したが、現在もなお、頭痛、不眠症等の障害が残存し、極度に疲労し易く、視力が衰え映像がちらつき目やにが継続的に出るため、来客との応待の際にも目やにをかくすため、常時サングラスをかけている状況で、目が疲れて書類の作成等にも苦痛を感じ、日常の業務を遂行する上でも重大な支障をきたしている。

二  責任原因

被告は、次の各理由により、原告に生じた損害を賠償する義務がある。

1  被告は、甲車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による賠償義務

2  被告は、訴外稲沢を使用し、同人が被告の義務の執行中、前方不注視の過失により本件事故を発生させたから、民法七一五条一項による賠償義務

三  損害

Ⅰ  (第一次的主張)

(Ⅰ) 逸失利益

(一) 逸失利益算定の基礎となる事実関係

1 原告は、昭和一五年三月京都帝国大学理学部化学科を卒業し、同年四月三菱重工業株式会社入社、昭和三三年四月三菱製鋼株式会社(以下会社という。)長崎製鋼所研究部長、昭和三四年一二月同本社技術部長、昭和四〇年四月同社輸出部長、昭和四三年五月同社取締役輸出部長となつた。

2 原告は、会社の元社長久保田豊の娘婿であり、昭和二九年六月五日、「普通炭素鋼にあらわれる異常きずについて」の研究論文をもつて東北大学から理学博士号を授与された。

3 原告が会社において昭和四〇年四月以降現在に至るまで担当している輸出部門の業績は、次のように着実に伸びている。

〈省略〉

4 右の如く、原告には昇進を妨げる特段の要素がないばかりでなく、却つて昇進のテンポは同期入社の者に比しても早いのが当然であるが、昭和四二年五月に取締役に就任した者は次の四名であり、原告との対比から明らかなとおり、原告と同期あるいは後期入社の者である。

〈省略〉

(原告 昭和一五年四月 昭和三四年一二月)

(二) 取締役就任の遅れたことによる逸失利益 一九五万一、五〇〇円

原告は、昭和四三年五月の定時株主総会において取締役に就任したが、本件事故にあわなければ、前記事実関係に照らし、遅くとも昭和四二年一二月一日には取締役に就任し、取締役としての所得を得ていた筈であり、この就任の遅れに基づく原告の逸失利益の額は、次のとおり算定される。

1 昭和四二年一二月一日から同月末日までの逸失利益の額は、原告の昭和四三年度の年間所得額三七〇万五、〇〇〇円に一二分の一を掛けて同年度の一ケ月分の所得を算出し、これから原告の昭和四二年度の年間所得額二七一万五、〇〇〇円に一二分の一を掛けて同年度の一ケ月分の所得を算出した額を控除すると、八万二、五〇〇円となる。

2 昭和四三年一月一日から同年一二月末日までの逸失利益の額は、原告の昭和四四年度の年間所得額四八〇万二、〇〇〇円から原告の昭和四三年度の年間所得額三七〇万五、〇〇〇円を控除すると、一〇九万七、〇〇〇円となる。

3 昭和四四年一月一日から同年一二月末日までの逸失利益の額は、原告の昭和四五年度の年間所得額五三七万二、〇〇〇円から原告の右昭和四四年度の年間所得額(前記2)を控除すると、五七万円となる。

4 昭和四五年一月一日から同年五月末までの逸失利益の額は、前記福島が原告の後輩に当り、原告より一年早く取締役に就任し、会社からの収入以外の収入がないから、同人の所得額を基準に算定すべきところ、同人の昭和四四年度の年間所得額五八五万六、〇〇〇円に一二分の五を掛けて同人の同年度の五ケ月分の所得を算出し、これから原告の右昭和四五年度の年間所得額に一二分の五を掛けて同人の同年度の五ケ月分の所得を算出した額を控除すると、二〇万二、〇〇〇円となる。

(三) 常務取締役への就任の遅れたことによる逸失利益 一一六万四、八〇〇円

原告は、本件事故にあわなければ、原告の学歴、業績、これまでの昇進ペースなど諸般の事情に徴し、遅くとも右福島が常務取締役となつた昭和四四年六月一日には常務取締役に就任し、常務取締役としての所得を得た筈であり、この就任の遅れに基づく原告の逸失利益の額は、次のとおり算定される。

1 昭和四四年六月一日から同年一二月末日までの逸失利益の額は、会社の役付取締役(代表取締役を除く。以下同じ)七名の年間所得の平均値を基準に算定すべきところ、役付取締役の昭和四四年度の所得平均額は六七三万八、〇〇〇円であるから、これに一二分の七を掛けて同年度の七ケ月分を算出し、これから原告の同年度所得の七ケ月分を控除し、さらにこれから原告の前記(二)3の同年度の逸失利益額の一二分の七を控除すると、七九万七、三〇〇円となる。

2 昭和四五年一月一日から同年五月末日までの逸失利益の額は、昭和四五年度の前掲役付取締役七名の所得平均額は右昭和四四年度の平均額を下回らないと考えられるので、これを基準にして、その五ケ月分を算出し、これから原告の右昭和四五年度の所得額の五ケ月分を控除し、さらに原告の前記(二)4の逸失利益額を控除すると、三六万七、五〇〇円となる。

(四) してみると、原告の本件事故に基く逸失利益の総額は、右取締役就任の遅れたことによる逸失利益の額一九五万一、五〇〇円と、常務取締役への就任の遅れたことによる逸失利益の額一一六万四、八〇〇円の合計額三一一万六、三〇〇円である。

(Ⅱ) 慰藉料

原告は、本件事故に基づく前記後遺障害があり、また、会社の本来の人事移動からみれば、取締役就任の時期が約一年遅れ、その後役付取締役への昇任にも差支えたことによつて甚大な精神的打撃を受けたので、これに対する慰藉料として一〇〇万円が相当である。

Ⅱ  (第二次的主張)

(Ⅰ) 逸失利益

(一) 原告は、本件事故にあわなければ、おそくとも昭和四三年六月一日には取締役に、昭和四四年一二月一日には常務取締役にそれぞれ昇進していた筈であり、これは会社の人事制度からみて明らかである。

(二) 原告の第二次的主張における逸失利益の額は、次のとおり一八九万三、七一七円である。

1 第一次的主張(二)2の逸失利益額の七ケ月分 六三万九、九一七円

2 同3、4の逸失利益額 七七万二、〇〇〇円

3 同(三)1の逸失利益額の一ケ月分 一一万四、三〇〇円

4 同2の逸失利益額 三六万七、五〇〇円

(Ⅱ) 慰藉料 二二二万二、五八三円

Ⅲ  (第三次的主張)

原告は、本件事故により著しい精神的損害を蒙つたから、これに対する慰藉料としては四一一万六、三〇〇円が相当である。

四  結論

よつて、原告は、被告に対し本件事故に基く損害賠償として四一一万六、三〇〇円および本訴状送達の日の翌日である昭和四五年一一月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(但し、右のうち、訴状に基く請求は右損害賠償三〇〇万円及びこれに対する右遅延損害金であつて、その余の請求は、昭和四六年九月二三日当裁判所に提出された準備書面により拡張されたものである。)

第三被告の主張

(答弁)

一  請求原因一ないし5の事実は認め、6の事実は不知。

同二の事実のうち、訴外稲沢に前方不注視の過失のあつたことを否認し、その余の事実は認める。

同三の事実はすべて不知。

(反論)

二(一) 原告の受傷程度、事故後の原、被告の交渉等

1  原告は、事故発生後直ちに秀島病院に収容されて治療を受け同病院長から大事をとつて入院するように指示があり、被告も早期集中治療が大切であることを再三申入れ入院治療を希望したが、会社勤務の都合により入院せずに、通院して治療を受けることとなつた。ところで、

頸椎捻挫については、早期安静治療が特に必要とされているにも拘らず、原告が入院を断つたことはその後の症状の悪化、長期化に大きな影響を与えている。

2  原告は、その後負傷の回復しない状態で、昭和四二年六月中旬から同月末日までと、同年七月二〇日頃から同年八月一〇日頃までの二回に亘り米国に出張したが、その際、被告としては、原告の負傷が完全に回復していなかつたので右出張には反対であつたが、右出張をやめさせるわけにもいかず止むなく原告の右第一回の出張に際し、出張中の治療費として餞別名義で二ないし三万円を送つた。その後被告は、昭和四二年一〇月末日、前記秀島病院で原告に対し治療見込の診断がなされたので、とりあえず同病院の治療費の全額二四万七、〇七〇円を支払い、なお原告に対し他の病院の治療費等があれば請求されたい旨を申入れたが、その後治療費支払の請求はなかつた。

3  訴外稲沢および被告の事故係(当時)元倉政嘉は、事故後何回か原告を見舞い、被告の常務取締役(当時)高原晧も原告宅を訪問したが、原告は、昭和四四年八月三日、右高原に対し、本件事故による損害賠償請求については法律的な問題の取り上げ方でなく話合によつて解決してほしい旨を申入れ、示談金として三〇〇万円を請求した。右高原は、右請求額が当時の常識的な賠償額を大きく上回つていたので即答を避け、被告の重役会に図つてみる旨を回答したが、その後原、被告間に賠償額の調整がつかぬまま本訴が提起された。

(二) 逸失利益について

1  原告は、取締役就任の遅れを逸失利益算定の根拠としているが、果して原告の取締役就任につき通常の昇進ペースよりも遅れているか否か疑問であるばかりでなく、仮に遅れているとしても本件事故との因果関係は甚だ不明確であり、また仮に因果関係が存在するにしても取締役就任の遅れによる逸失利益が原告の算定するように単純に前年度との給与所得の比較によつて求められるか否か極めて疑問である。

給与所得は、通常地位の昇進のない場合でもベースアツプまたは定期昇給により増額するもので、原告はこれらの要素を取締役就任の遅れによる逸失利益の算定に混入させているから、その算定の妥当性が疑わしい。

役付取締役就任の遅れによる逸失利益についても、右取締役就任の遅れについてと同様の疑問があり、逸失利益の算定方法につき他の役付取締役の当該年度の平均所得額と原告の所得額との対比によつて求めているが、他の役付取締役の中には原告との入社年度等経歴の異る者含がまれているのを無視しているので疑問がある。

2  原告の第二次的主張の逸失利益については、原告は昭和四三年五月の定時株主総会において取締役に就任しているのであるから、取締役就任の遅れによる逸失利益はないはずである。

(三) 慰藉料について

1  原告の本件事故による受傷は、昭和四二年一〇月三一日治癒見込程度のもので、右受傷程度をもとにすれば、慰藉料額は一〇〇万円でも高額に失する。

仮に右治癒見込期日以降まで原告の治癒が長引き、あるいは後遺症が顕われたとしても、前記の如く原告が入院を断り、治癒以前に外国出張して早期集中加療をしなかつたことを考慮すると、原告にも責任の一端があり、治療期間の延長および後遺症に基づく慰藉料のすべてを被告に負担させることは不当である。

2  原告の慰藉料請求額の内に、取締役および役付取締役就任の遅れによるものを含んでいるとすれば、右各就任の遅れと本件事故との因果関係について極めて疑問の存することは前述のとおりである。

3  被告は、事故後誠意をもつて原告に対処する方針を採り、原告の治療費を支払うことは勿論、原告の通院の際はハイヤーを差し向け、同人の米国出張の際は餞別を贈り、何回となく原告を見舞い、誠実に原告と折衝してきた。

(抗弁)

三 請求拡張分に対する消滅時効

(一)  原告の事故による受傷は昭和四二年五月一七日であり、既に昭和四五年五月一七日を以て時効期間たる三年間を経過しているから、被告の責任は時効によつて消滅しており、被告は当法廷において請求拡張分につき右時効を援用する。

(二)  右請求が後遺症に基く慰藉料であれば、原告の傷害が第二頸椎挫捻むち打症程度というものであるから、おそくとも受傷後一年以内に後遺症の認定が可能であつたところ、受傷一年後である昭和四三年五月一七日から起算しても、既に昭和四六年五月一七日を以つて時効期間たる三年間を経過している。

第四原告の再抗弁

原告は、被告に対し、昭和四五年五月八日到達の書面をもつて本件交通事故による損害賠償として三〇〇万円を支払うよう催告したから、消滅時効は中断された。

第五被告の主張

原告主張のとおりの催告のあつたことは認めるが、これにより被告の援用する時効が中断されるものではない。

第六証拠〔略〕

理由

一  請求原因1ないし5の事実は当事者間に争いがない。

二  同二の事実については、訴外稲沢の過失を除き当事者間に争いがない。

よつて、被告は自賠法三条により原告の蒙つた損害を賠償する義務がある。

三1  〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。

原告は、本件事故により頸部捻挫(むちうち症)、前額部打撲傷、左膝部擦過傷の傷害を受けた。

当初は、頸部痛(運動痛)、頭部痛、歩行困難、両前腕から指にかけてのしびれ等の訴えがあり、数日後に至つて、起床に苦痛を覚え、頸部に重圧感と前後動時の疼痛、後頭部鈍痛、握力低下、嘔気や時に前胸部放散疼痛等の症状が認められた。その後症状は一進一退の状態で推移し、極度に疲れやすい状態、眼の疲れや痛み等が持続した。

昭和四三年四月に至つて、左顔面麻痺が発症し、また眼の充血、右眼尻に涙、目脂が多く、そのために特殊な黒眼鏡の常用を余儀なくされた。

昭和四七年においても、頭痛、不眠症、眼の疲れ等のほか頸椎後屈制限、両手の握力低下、上肢両手部から指尖にかけてのしびれ、軽度の知覚麻痺が存する。

これら症状は、同年中にもはや治療の方法もなく、回復の兆も認められない状態となつた。

そして、以上の各症状は、医師らにより、本件傷害に基くものと診断されている。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。そして、右認定事実、とくに〔証拠略〕を参考にすると、右診断は相当と認める。

2  〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。

原告は、受傷直後から秀島病院(医師秀島宏)に受診しているが、当初、脳内出血は否定されたものの、レントゲン検査により第四、第五頸椎間孔狭小が確認され、その他前述の神経症状等にも鑑み、いわゆるむちうち症の激症であつて入院を相当とするものと診断されたが、前記医師は病室の都合、原告宅が病院から近いことや原告の勤務(後掲3)等を勘案し、通院を指示し、ポリネツクによる頸部固定、頸部牽引、注射、投薬等の処置を行ない、原告は、右医師の指示により必要最小限の出社を除き会社を欠勤していた。

ところで、原告は会社において後記の地位にあつて、昭和四二年六月からその用務上米国へ出張することが予定されていたところ、原告は事故による受傷のため、極力渡米を避けようとしたが、会社側の事情から余人に代え難く、会社の社長や前記医師等と相談の結果、原告の症状に鑑み、原案の米国に二ケ月滞在するところを、最小限に、しかも二回に分けることとし、同年六月一八日頃から一〇日間余りと同年七月後半から約二〇日間の二回にわたり右用務で米国に出張した。この際、右医師は、米国においても、同医師の処方する薬を服用し、また指定する医師の治療を受け、激務を避けること等を特に指示し、原告は渡米中、右指示どおりに受診服薬もし、各期間にわたり、会社の駐在員に終始附添われ、最低限の所用のほか、ホテルで静養することを余儀なくされた。

右帰国以後も、かなりの期間、自宅静養、通院加療を主にして、必要な場合短時間出社するにとどめ、前記出張の報告書作成もできなかつた。

その後も長期間、原告は会社における日常の業務に種々の支障を来たし、特に書類作成に困難を極め、前記黒眼鏡の着用が渉外の職務も多い原告の職業上品位を害し、またゴルフができないことからも右職業上支障を来たしている。

3  〔証拠略〕によれば、次の事実を認めることができる。

原告の経歴、学位は、請求原因三Ⅰ(1)(一)の1、2のとおりである。

原告が会社の輸出部長に就任以来の同部門の業績は、概ね順調である。

原告は、大正一四年三月一五日生れで、概ね健康で、右のとおり勤務を続けていたものである。事故前夙に従業員中最高の参与(取締役徒遇)の地位にあり、昭和四二年五月の株主総会準備の役員会に当つては、担当専務から原告を取締役に推挙すべきとする強い意見があり、同年一〇月にも原告の取締役推挙が議せられたが、健康状態を考慮して決定に至らなかつた。なお、原告は前記のとおり取締役に選ばれ、さらに昭和四六年五月常務取締役に就任した。(原告につき、健康上の理由のほか、昇進や取締役、常務取締役就任を妨げる事由は窺われない。)

会社の人事は、株主総会に対する取締役候補の推挙を含めて、学歴や年功序列の原則が強く支配し、官学出身、学位の保有も非常に強い条件となる。昭和四二年五月には、原告主張の四名(入社、本社部長就任時期もその主張のとおり、福島、曲山、竹下の最終学歴は専門学校である。)が取締役に就任し、そのうち福島、曲山は昭和四四年五月、竹下は昭和四五年四月に常務取締役に就任した。

四  前記三に述べた事実によると、

原告が前記のとおり傷害を受けたことにより、(1)それ自体ですくなからぬ肉体的精神的苦痛を受けたことが明らかである。(2)そのうえ、会社において枢要の地位にありながら、健康上の理由から、欠勤を余儀なくされ、また前記症状に耐えて就業しながらなお職務上種々の支障を生じたことも、精神的苦痛の強い原因となつたものというべきであり、ことに訪米の中止も考慮し、結局、その身体を案じながら、会社に多大の負担を与えて最小限の用務に限つて訪米を果すほかなかつたことは重視されるのが相当である。(3)さらに、事故にあわないで健康を保持していたとすれば、昭和四二年一二月に取締役に、さらに昭和四四年ないし昭和四五年中に常務取締役に就任し得たことも確実といえないまでも、大きな可能性があつたということができ、(4)これら職務上の支障、取締役ないし常務取締役就任の遅れにより給与面においても、原告の会社内外における地位等からみても多大の損害を来たしていることは否定し得ない。(5)なお、本件事故によつて原告が受傷し、会社が種々影響を蒙り、財産上も大きな損害を受けたことも本訴において直接評価すべき限りでないが、原告の精神的損害を論ずるに当たりその影響は無視できるものではない。

以上に述べた事情を総合すれば、原告が本件事故により傷害を受けたことに基く慰藉料の額は、その主張する四一一万六、三〇〇円を下ることはないとみるのを相当とする。

五  被告は、原告が被告の申入れにも拘らず、入院治療を肯んせず、また、強いて米国に出張し、その結果、その後の症状の悪化、長期化を来たした旨主張し、被告が右趣旨の申入れをしていた点については〔証拠略〕により認めることができる。ところで、頸部捻挫等の傷害につき安静加療の重要なことはいうまでもなく、原告が会社の都合を考えることなく、安静加療のみに努めていたとすれば、爾後の症状がさほどのものとならなかつたことがあり得ないわけではない。しかし、被害者が勤務の都合などで安静加療に専念できないことは往々あることであつて、むしろ、原告の前記した療養、勤務態度は、通常人にも通常予想される範囲に属することが明らかであつて、この点は、因果関係の中断事由にもならないし慰藉料額を定めるにつき斟酌される事由ともならない。

六  被告の時効の抗弁について判断するに、本件事故が昭和四二年五月一七日に発生したことは前述のとおりであつて、原告が被告に対し、書面をもつて本件事故による損害賠償として三〇〇万円を支払うよう催告し、これが昭和四五年五月八日被告に到達したことは当事者間に争いがなく、原告の本訴が昭和四五年一一月七日提起され、訴状に基き本件事故に基く損害賠償として三〇〇万円の請求がされていることは記録上明らかである。ところで、同一事故により生じた同一の身体傷害を理由とする財産上の損害と精神上の損害とは原因事実および被侵害利益を共通にするものであるから、その賠償請求権は一個であり、訴訟物も一個であると解すべきである(最判昭和四八年四月五日、判例時報七一四号一八四頁)ので、原告の本訴請求にかかる損害賠償債権は、訴状に基く請求が慰藉料のそれか財産上の損害のそれかに拘わりなく、その後の請求拡張分を含めて、時効中断されていることが明らかであり、被告の主張は理由がない。

七  以上のとおりであるから、被告に対し損害賠償として四一一万六、三〇〇円およびこれに対する訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年一一月二一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の本訴請求はすべて正当である。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高山晨 田中康久 玉城征駟郎)

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